西本 圭介
世界に認められたテクニカル・ロック・ベーシスト
<略歴> 1970年生まれ広島市出身。大阪スクールオブミュージック専門学校とアメリカMusicians InstituteハリウッドBITを卒業。
卒業後はプロ活動を開始し、トシ・ヒケタ(デビットリーロス)、Kelly Simonz、島紀史などハイテクニック・ギタリスト御用達ベーシストとして活動。
グレンヒューズ(ディープパープル)+ ジョーリンターナー(レインボー)のヨーロッパツアーにオープニングアクトとして同行し11ヶ国、全19公演を行う。
またレイ・ルジアー(KoRn)、グレンソーベル(アリスクーパー)ら海外ドラマーとのリズムセクションを数多くこなしている。
巨匠ビリー・シーンと共に世界的バンドKoRnのドラマーであるレイ・ルジアー氏のレッスンビデオに参加し、テクニカルロックベーシストとして認知される。
現在はバークレー音楽院提携校の神戸 甲陽音楽&ダンス専門学校の教務部長と副校長も務めている。
ベース・マガジン2014年1月号掲載
<<< 西本圭介ヒストリー>>>
1970年広島市に生まれる。
幼少時代に矢沢永吉氏の育った町で育つという運命からか、高校入学時に運命に導かれてベースを始める。
高校時代は音楽は趣味と割り切って絵画教室に通いデザイナーを目指す。
地元の大学中退後、数年のサラリーマン生活を経て1992年22才の時、大阪スクールオブミュージックに入学する。
大阪スクールオブミュージックに入学から1年後、
米ハリウッドのMI (Musicians Institute)のBIT(ベースコース)に留学する。
同校では音楽理論や様々なジャンルを学び、特にアンサンブルについては厳しい指導を受けた1年だった。
Steve Bailey, Tim Bogert, Francis Rocco Prestia, Billy Sheehan, Jeff Berlin, Gary Willisら偉大な講師陣に学び、多国籍な人達とのバンド活動など有意義な留学生活を送った。
帰国後は大阪でセッションベーシストとしての活動を始める。
同時に母校のベース講師に就任しティーチングプロとしても活動を開始する。
同時期に恩師であるクリス ジャーガンセン、星山 哲也(浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・misono ・KellySimonz ・Libraian ・unsuspected monogramドラマー)共にブルースバンド「BLACK CAT BONE 」を結成。
関西空港が開港した当時の大阪はアメリカンバーが賑わい、毎週のようにアメリカ人の前でブルースを演奏する活動を行う。
また1994年には後にデビットリーロス・ギタリストになる引田 寿徳、そして「BLACK CAT BONE 」でもコンビだった星山 哲也、そして米MIのボーカルコースインストラクターのコリーン・シーハンと共にプログレッシブメタルバンド「Tyid Died Junkies」を結成し活動するが、音楽性の相違により脱退する。
オーディションを経て島 紀史(現コンチェルトムーン)が当時結成していた「クリスタルクリアー」に電撃加入し勢力的にライブ活動を行う。
当時はアマチュアでは異例であったESPとのモニター契約も結び、精力的にライブ活動を行う。
日本における活動のノウハウは彼から多くを得ることになるが、方向性の相違により脱退する。
当時ネオクラシカル・メタルでは珍しかったフレットレスベースをメインベースとして使っており、その演奏はMake It Shine Vol.1にて聴くことが出来る。
1996年3月からは福岡スクールオブミュージックでミュージシャン育成に力を入れていくことになる。
全くの新地から校舎を建設し、機材の選定から講師の面接とこれまでと全く違う環境の中で音楽教育と学校運営ビジネスについて学んでいく。
バーでのブルース演奏は続けていたが、表だった活動からは遠ざかった生活を送る日々が続く。
ある日ヤングギターで見たKelly Simonzの記事に感銘を受けCDショップに駆け込んだ。
あまりの衝撃にケリーのホームページを探しだし、直接参加したいことを伝える。
オーディションを受け1999年Kelly Simonz’s Blind Faithに加入。
当時は福岡在住だった為、新幹線でオーディションに向かい、加入後は飛行機に乗って月に数回スタジオに入るという生活をスタートし、遠距離ながらライブ活動をスタートする。
2000年9月には『ベースマガジン10月号』ハイテクニック特集に紹介される。
これを機にマニアの間でハイテクベーシストとして少しずつ認知度を高めるが、福岡を中心にティーチングプロとして活動していた為、まだまだ無名のベーシストだった。
2002年の3月に福岡スクールオブミュージックを退職し10年間離れていた故郷の広島市に拠点を移し、演奏活動を中心の活動に切り替えようと生活の立て直しを始める。
2002年9月にはグレンヒューズ(ディープパープル)とジョーリンターナー(レインボー)がコラボレートした話題のヒューズ・ターナー・プロジェクトのヨーロッパツアーに同行し11ヶ国、全19公演を行い大きな話題となる。
2002年名古屋コミュニケーションアートの教育ディレクター就任。
広島在住ながら名古屋の音楽学校の立ち上げのスタッフとして迎えられることになり、以後の6年間は年間100回以上の新幹線通勤と2/3はホテル暮らしというライブ活動と平行したヘヴィーな生活をスタートさせる。
演奏活動や教育業と充実を始めた年だが、楽器メーカーのアドバイザーとしても大きな注目を集め始めた。
ハンドメイドエフェクターHAO社のベース用ディストーションの開発に参加し、開発したディストーションは何と世界デビューを果たした。
現在もベース用の強力なディストーションとしてヒット商品になっている。
Benavente (ベナベンテ)社の日本人初のモニターアーティスト。
当時はマイナーな存在だったアメリカはオレゴンにある世界最高水準の木工技術を持つハンドメイドベースメーカーBenavente (ベナベンテ)社のベースに早い時期から可能性を見いだしており、日本人初のモニターアーティストになる。
ベース人生で初の自身のデザインしたモデルを発表し、現在は国内でも大人気のブランドとして定着している。
2005年にKoRnのドラマーレイ・ルジアーの教則DVDに参加。
トシ・ヒケタ、巨匠ビリー・シーンと共に参加し、日本発のプログレッシブ・ロック・ベーシストとして認知度を一層高めることになる。
2007年のドラム教則DVDの世界ランク2位を獲得。
2006年春にはドイツのプロジェクトCode Of Perfectionに参加し、アルバムはメタル・インストというジャンルにも関わらずヨーロッパで好セールスを記録し、ヨーロッパでの認知度をさらに高めることになる。
グヤトーン社の機材開発に参加。
また自身のコンプレッサー内蔵の特殊楽器ケーブルブランド“トーンエレメンツ”の開発と販売も開始し、大きな反響を得る。
この時期から機材アドバイザー・デザイナーとしての評価も高まる。
2005年にThe Hideous Sun Demonsに加入。ジャパンメンバーとして毎年数回のツアーを行う。
同バンドのオリジナルベーシストは元メガデスのジェイムズ・ロメンゾだが、自分以外にもBilly SheehanやJohn “J.D.” DeServio(ザックワイルド)を起用して活動をしている。
デビットリーロス・バンドのトシ・ヒケタ教則DVD“ロック・ギタリストのための ハイテク即興自由自在”にグレン・ソーベル(アルカトラズ、インペリテリetc)、RAY LUZIER(KoRn)と共に参加し話題になる。
2007年にニール・ショーン率いる『ハードライン』でデビューしポール・ロジャースのバンドに加入したトッド・ジェンセンとのライブ。
Toshi Hiketa、レイ・ルジアー(KoRn)、トッド・ジェンセンと僕のツインベースの二部構成のライブを決行。
演奏活動も教育活動も乗りに乗っていた時期だったが、僕の人生観の中に好きなことは全て仕事にしてみるという夢があり、憧れのもう一つの職業であるハーレーダビッドソンに関わった仕事がどうしてもしたくなり、2008年3月演奏活動を無期限停止する。
2008年4月にハーレーダビッドソンバルコムに転職。
もともと音楽の仕事をしていない日はハーレーダビッドソンを改造しているかツーリングをしているかという日々を送っており、単なるハーレーダビッドソン好きだというレベル以上に行かないと気が済まなくなり、また全くの異なる世界で自分の能力がどこまでか試したくなり、中国地方では老舗であるハーレーダビッドソンバルコム・グループの門を叩く。
2009年には同社のハーレーダビッドソン新車販売台数の一位になる。
またホームページのリニューアル作業にも着手する。
2010年5月に3丁目のたこボールを開業
2012年10月世界的メタルバンドKoRnのレイ・ルジアー、デビッド・リー・ロスバンドのトシ・ヒケタとトリオでのLIVEを行う。
2013年2月JES International, Inc.様のご厚意により、業界で話題騒然のPhil Jones Bass Double Four (ダブル・フォー)BG-75 とHAO Bass Liner(ベースライナー) の2機種をモニターすることになる。
2013年8月で㈱バルコムモータースを退職。
9月に広島市佐伯区五日市のコイン通りにライブハウス オクトパスをオープンする。
ベース・マガジン 2014年1月号の33インチベース特集に登場
2017年12月31日付でライブハウスオクトパスは廃業し、名古屋での音楽学校運営に傾注することになる。
2022年11月現在
広島を拠点にし、バークレー音楽院提携校の神戸 甲陽音楽&ダンス専門学校の副校長/ 教務部長を務め、広島と神戸を拠点にベーシストとしての活動を行っている。
レッスンについて詳しくはここをClick
共演アーティスト
<敬称略 順不同>
ケリーサイモン
レイ・ルジアー(Korn)
グレン・ソーベル(インペリテリ)
ジェニファー・バトゥン(ジェフ・ベック、マイケル・ジャクソン)
引田寿徳(デビット・リー・ロス)
富田京子(プリンセスプリンセス)
マーク・シュールマン(スティーブスティーブンス、氷室京介)
シェーン・ガラース(B’z)
ラルフ・ハンフリー(フランク・ザッパ)
トミー・シュナイダー(ゴダイゴ)
ジョン・サイリース(エージェントスティール)
クリス・ジャーガンセン
島 紀史(コンチェルトムーン)
太田カツ(アークストーム)
星山哲也(Libraian)
他多数
クリニック・イベント企画実績
ビリー・シーン / ベースクリニック
桜井哲夫 / ベースクリニック
今沢カゲロウ / ベースクリニック
松田“FIRE”卓巳 / ベースクリニック
渡辺 敦子 / ベースクリニック
山下 昌良 / ベースクリニック
リンカーン・ゴーインズ / ベースクリニック
トッド・ジェンセン / ベースクリニック
ジョン・ペトルーシ(ドリームシアター)/ ギタークリニック
マイク・スターン / ギタークリニック
ポール・ギルバート / ギタークリニック
トシ・ヒケタ / ギタークリニック
是方 博邦 / ギタークリニック
ジェニファー・バトゥン / ギタークリニック
ケリー・サイモン / ギタークリニック
レイ・ルジアー / ドラムクリニック
グレン・ソーベル / ドラムクリニック
マーク・シュルマン / ドラムクリニック
沼澤 尚 / ドラムクリニック
神保 彰 / ドラムクリニック
富田 京子 / ドラムクリニック
樋口 宗孝 / ドラムクリニック
ジョン・ブラックウェル / ドラムクリニック
星山 哲也 / ドラムクリニック
ラルフ・ハンフリー / ドラムクリニック
トッド・ジャンセン / ベースクリニック
その他、多くのクリニックを企画立案実施